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大阪高等裁判所 昭和57年(ネ)1859号 判決

控訴人

三共自動車株式会社

右代表者

松村惇

右訴訟代理人

町彰義

西口徹

被控訴人

右代表者法務大臣

秦野章

右指定代理人

饒平名正也

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

1  被控訴人は控訴人に対し、金二七一万一五五八円、及びこの内金二一六万一二六五円に対する昭和五五年一〇月二一日から完済まで年五パーセントの割合による金員を支払え。

2  控訴人のその余の請求を棄却する。

二  訴訟費用は第一、二審とも三分し、その一を控訴人の、その余を被控訴人の負担とする。

三  この判決は一項の1に限り仮に執行することができる。

事実

一  当事者の求める判決

(控訴人)

1  原判決を取消す。

2  (主位的請求) 被控訴人は控訴人に対し、金三九五万六一一四円、及びこれに対する昭和五五年四月二二日から完済まで年五パーセントの割合による金員を支払え。

3  (予備的請求) 被控訴人は控訴人に対し、金三九五万六一一四円、及びこの内金二一六万一二六五円に対する昭和五五年一〇月二一日から完済まで年五パーセントの割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

(被控訴人)

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

二  当事者の主張

(控訴人の請求原因)

一 控訴人は労働者災害補償保険法(以下、労災保険法という)三条一項の適用事業の事業主であるところ、控訴人の労働者であつた岡山純一は、昭和四二年六月七日控訴人本社工場でトラクターショベル車の占検修理の業務に従事中、ショベル車のバスケットを吊るワイヤーロープが突然切断したため、バスケットが同人の頭上に落下し、同人は脳挫傷などの傷害を受けた。

二 岡山純一は右ショベル車には民法七一七条の瑕疵があると主張して控訴人に対し損害の賠償を求める訴訟を提起した(松山地方裁判所宇和島支部昭和四五年(ワ)第三三号、同四八年三月三一日判決、甲四号証)。この事件の控訴審高松高等裁判所(昭和四八年(ネ)第七九号、同五〇年二月一三日弁論終結、同年三月二七日判決、甲三号証)は、控訴人に民法七一七条の責任があることを認め、(1) 岡山純一が稼働能力を全て失つたことによる損害一〇七二万六七三二円から、(ア) 岡山純一が本件労災事故により既に受領した労災保険法による休業補償給付七五万八六七〇円、(イ) 既に受領し又は将来死亡迄の間に受けるべき同法による長期傷病補償給付から中間利息を控除した昭和四五年三月現在の額四七五万九一三二円、(ハ) 既に受領し又は将来死亡迄の間に受けるべき厚生年金保険法による障害年金から中間利息を控除した昭和四五年三月現在の額四六五万六一六七円、を控除した五五万二七六三円、(2) 付添看護料一七四万八〇〇〇円、(3) 慰謝料六〇〇万円、(4) 弁護士費用七〇万円、の計九〇〇万〇七六三円、及びこれに対する遅延損害金の支払を命ずる判決をした。

岡山純一は右控訴判決に対し上告し、上告理由として、労災保険法による長期傷病補償給付、及び厚生年金保険法による障害年金は、損害賠償債権額から控除すべきではないと主張した。

最高裁判所第三小法廷(昭和五〇年(オ)第六二一号、同五二年一〇月二五日判決、甲一号証)は、労災保険法と厚生年金保険法による保険給付は、これが既に行われたときは、使用者は同一の事由については、その価額の限度において民法による損害賠償の責を免れるが、いまだ現実の給付がないときは将来の給付額を損害賠償債権額から控除することを要しないと判示し、原審の確定した事実にもとづき、原判決が既に給付のあつた長期傷病補償給付八〇万三〇一八円と障害年金四七万七九五九円を損害賠償額から控除した点は正当であるが、未だ給付のない長期傷病給付三九五万六一一四円と障害年金四一七万八二〇八円の計八一三万四三二二円を控除したことは法令の解釈を誤つたものであるとして、原判決を変更し、原審認容の九〇〇万〇七六三円に右八一三万四三二二円を加えた一七一三万五〇八五円、及びこの内金一二七一万九八七八円については昭和四五年三月一七日から、内金三七一万五二〇七円については昭和四九年一〇月一九日から各支払ずみまで年五分の割合による金員の支払を命ずる判決をした。

三  控訴人は岡山純一に対し、右判決のとおりの損害賠償義務を負つた。

四  控訴人は昭和五二年一一月二五日までに岡山純一に対し、前記二の最高裁判所判決により支払を命じられた損害賠償及びこれに対する遅延損害金として、計二二三二万一三二六円を現実に支払つた。

五  被控訴人は岡山純一に対し、請求原因一の労災事故にもとづき、労災保険法の長期傷病補償給付又は傷病補償年金の給付をする義務があるとして、別表のとおりの支払をした。

六  労災事故にもとづく労働不能による逸失利益の損害賠償を労働者に対して支払つた労災事業の適用事業の事業者である控訴人は、民法四二二条、又は労災保険制度の趣旨、公平の原則にもとづき、同一事故により労働者岡山純一が被控訴人に対して有する労災保険給付を取得したものと解すべきである。その理由は次に付加するほか、原判決事実欄請求原因五(一)、(二)(三枚目裏二行目から五枚目表一二行目まで)に摘示のとおりであるから、これを引用する。

1  労災保険の基本的性格は責任保険であるから、保険給付の限度で使用者の責任負担が軽減されることは、保険制度に内在する原理から当然に導き出されるところである。この損害賠償額を超える部分についてのみ、社会保障的性格を持つているにすぎない。

2  労災保険法一二条の五の規定は、労働者に現実に支給を受けさせることを目的としたものであるから、使用者が現実に損害賠償をして損害を填補した場合に、保険給付を取得することを妨げるものとはいえない。

七  よつて、控訴人は被控訴人に対し、右のとおり取得した岡山純一の長期傷病補償給付及び傷病補償年金計三九五万六一一四円、並びにこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和五五年四月二二日から完済まで年五パーセントの割合による遅延損害金の支払を求める。

もし仮に、岡山純一に対する保険給付の支払期でなければ控訴人もこの支払を請求できないと解されるときは予備的に、既に支払期の到来した三九五万六一一四円、及びこのうち昭和五五年八月までに支払期の到来した分二一六万一二六五円に対する昭和五五年一〇月二一日から完済まで年五パーセントの割合による遅延損害金の支払を求める。

(被控訴人の認否と主張)

一 請求原因一、二、五の事実は認めるが、同四の事実は知らない。同六の主張は争う。

二 損害賠償をした控訴人が、労働者岡山純一の有する保険給付を取得すると解することはできない。政府は、労働者が使用者から労災事故にもとつく損害賠償を受けたときでも、昭和五五年法律第一〇四号により追加された労災保険法六七条の適用がない限り、同法の保険給付は使用者に対してではなく、労働者に支払うべきである。その理由は次に付加するほか、原判決事実欄被控訴人の答弁及び主張二(一)ないし(六)(原判決六枚目裏一〇行目から九枚目表八行目まで)に摘示のとおりであるから、これを引用する。

1  労災保険給付は、労働者に生じた損害の填補の性質を有するほか、労働者の生活保障としての色彩をも併せ有している。したがつて、労働者に、民事上の損害賠償に加えて、労災保険給付を受けさせることが、労働者の二重利得を認めることになるとは、一概には言えない。たとえ、二重利得になるとしても、これを防止するためには、厳密にいえば、労災保険給付のうち損害填補の部分を控除することが必要であり、これだけを使用者に取得させることになろうが、このようなことは労災保険法の予想していないところであるから、同法は労働者に損害賠償と労災保険給付との双方を受けることを容認しているものといわざるをえない。

2  保険料を負担する使用者にどの程度の保険利益を与えるかは立法政策の問題であり、損害賠償を支払つた使用者に保険給付を取得させることが労災保険制度に内在する原理から当然に導き出されるものではない。このことは昭和五五年法律第一〇四号による改正後の労災保険法六七条からも窺知することができる。

第三 証拠〈省略〉

理由

一事実の確定

請求原因一(労災保険の適用、労災事故)、二(損害賠償訴訟と判決)、の事実は当事者間に争いがなく、これによれば請求原因三の事実が推認され、請求原因四(損害賠償金の弁済)の事実は成立に争いのない甲二号証の一ないし三により認めることができ、請求原因五(岡山純一に対する労災保険給付の支給)の事実は当事者間に争いがない。

二労働者に損害賠償金を支払つた使用者の労災保険法にもとづく保険給付への代位

民法の不法行為の規定にもとづき労働者が労災事故により受けた労働不能による逸失利益の損害賠償債務を現実に弁済した使用者は、同一の事故を原因として労働者に支給されるべき労災保険法上の長期傷病補償給付又は傷病補償年金について、弁済後に支給されるべき分のうち、右弁済額に充つる迄の部分について、民法四二二条により、労働者に代位して国に対する請求権を取得するものと解される。その理由は次のとおりである。

民法四二二条は本来は債務不履行による損害賠償を支払つた場合の規定であるが、同様に損害の填補を目的とする民法七一七条の損害賠償債務の支払の場合についても、民法四二二条の規定は類推適用されるべきである(労働基準法七九条の災害補償債務の支払についての最高裁昭和三一年(オ)第三六四号同三六年一月二四日第三小法廷判決・民集一五巻一号三五頁)。

民法四二二条は、被害者が損害賠償債権の発生と同一の原因にもとづき他の権利を取得し、又は被害物の残存物を有しているが、その権利や残存物の価額を損害賠償額から控除することは被害者保護の見地から不相当と解されるため債務者には右控除をしない額の賠償を命ずべき場合に、その権利(右弁済によつても消滅しない場合に限る)や残存物を被害者に保有させていたのでは被害者が不当に、二重に利得してしまうと解されるときは、その権利や残存物を、弁済者である債務者に取得させる趣旨のものであつて、この権利や残存物の価額の不控除と、その権利等への代位とは表裏の関係にある制度ということができる。そして、このように代位を認めるについては、被害者がその権利、残存物の価額を控除しない損害賠償金と共に、その権利や残存物をも取得することが二重の利得として不当と解される場合でなければならない。

この見地から民法七一七条の労働不能による逸失利益の損害賠償と、同一事故にもとづく労災保険法上の長期傷病補償給付又は傷病補償年金との関係について検討する。

この点について、請求原因二の上告審判決である最高裁昭和五〇年(オ)第六二一号同五二年一〇月二五日第三小法廷判決(民集三一巻六号八三六頁)は、「労災保険法に基づく保険給付の実質は、使用者の労働基準法上の災害補償義務を政府が保険給付の形式で行うものであつて、○○受給権者に対する損害の填補の性質をも有するから、事故が使用者の行為によつて生じた場合において、受給権者に対し、政府が労災保険法に基づく保険給付をしたときは労働基準法八四条二項の規定を類推適用し、○○使用者は、同一の事由については、その価額の限度において民法による損害賠償の責を免れると解するのが、相当である。」と判示している。この判示は、労災保険法による長期傷害補償給付は受給権者に対する損害の填補としての性格をも有するから、被害者が同一事故に関して、民法にもとづく労働不能による逸失利益の損害賠償と労災保険法の長期傷病補償給付との双方を現実に取得することは、損害の二重填補に当り、許されないとしているものと解される。

もつとも、右判示は労災保険法による保険給付が既にされた場合に関する判示ではあるが、右給付が損害填補の性格をも有すること、被害者が同一事故に関して右保険給付と損害賠償との双方を現実に取得することは許されないとの、右判決により示された労災保険法の保険給付の基本的な性格が、使用者による損害賠償の支払の前後によつて異つてくると解すべき合理的な理由は到底見出すことはできない。労働者が損害賠償金の支払を受けこれを生活費に充てることができるようになつた後の方が、それ以前に比して労災保険法上の保護必要性がより高いとは言えないことは明らかである。そのうえ、被控訴人主張のように解するとすると、使用者は損害賠償請求訴訟の進行を引延し、損害賠償金の支払をなるべく遅延させることが明らかに有利となるから、そのような策を講ずる使用者が生じかねないし、そうなつたのでは労働者の福祉の増進(労災保険法一条)にも欠けることになる。使用者の損害賠償金の支払が、右判例により示された労災保険給付の性格を変更させるほど意味のあるものとは考えられない。

本件において重視すべきことは、使用者は労災保険の適用事業の事業主として保険料を納付する義務があり、その実質的な対価として、労働基準法の災害補償の責を免れ(同法八四条)、少なくとも保険給付が行われたときはその限度で同一事故による民法上の損害賠償責任も免れる(前記最高裁昭和五二年一〇月二五日判決)利益を受けていることである。このような保険利益も解釈に当り考慮に入れるべき一事情である。もつとも、使用者が保険料を負担していること、あるいは保険利益をどの程度考慮するかは立法政策の問題であり、使用者の責任が免除されない場合を認めることが保険制度の本質に反するものではないことは被控訴人の主張するとおりであり、労災保険法二五条一項二号の規定、労働者が死亡したときは保険給付が行われない旨の規定解釈、本件訴訟中に改正された同法六七条二項の一部はそのような規定の例と解される。しかし、重要なことは、労災保険法やその他の法令を詳細に検討しても、本件の場合に民法四二二条の適用を否定する立法政策はどこにも見られないことである。

民法の損害賠償と労災保険法の保険給付は共に損害填補の性質をも有するが、目的を異にする部分も存することは被控訴人の指摘するとおりである。しかしながら、民法四二二条により代位を認めるのは、保険給付のうち損害賠償額、より正確にはそのうち逸失利益の損害額、に充つる迄の部分に限られるのであつて、この部分は正に損害填補の性質を持つ部分である。前記最高裁昭和五二年一〇月二五日判決も、既に支給された保険給付についてはその全部を損害額から控除しており、その給付のうちに損害填補の性格を持たない部分があるとはしていない。他方、保険給付のうち右損害賠償額を超える部分(本件においても既にこれが生じている)は、勿論、損害填補の性格を持たず、労災保険法独自の目的により給付されるものであるところ、この部分については民法四二二条の代位は行われないのである。そのうえ、労災保険法一二条の四第二項が、第三者事故の場合に労働者が第三者から損害賠償を受けたときには保険給付をしないことができるとしていることは、労働者が損害賠償を受けたとき(それを何人から受けようと、損害が填補され、生活の資を得ることには差はない)、労働者に保険給付を行わないことが、同法の目的に反したり、保険給付の性格に反するものではないことを示している。したがつて、前記のとおり、民法四二二条による代位を認めることが労災保険法の目的を害したり、保険給付の性格に反したりするものではない。

ところで、労災保険法は、その保険給付は一部を除き、一時金ではなく年金の方式により支給されるものとしている。しかし、労働者にとつては、その保険給付の支給時期よりも早期に、一括して、現実の支払を受けることは、かえつて有利である。労働基準法八二条は、労災保険給付と同一の性格を持つ災害補償については、一括支払を原則とし、分割補償には権利者の同意を要求し、権利者が一括して支払を受ける利益を保護している。また、前記最高裁昭和五二年一〇月二五日判決が、保険給付は損害賠償と同様に損害填補の性質を有し、しかも、その債務者は政府であるため支払が確実であるにも拘らず、将来支給されるべき保険給付は損害賠償額から控除すべきではないとしたのは、保険給付と一部性質の重複する損害賠償について一括弁済を受けられる債権者の利益を重視したものと解されるのである。そのうえ、労災保険法一二条の四第二項が、労働者が第三者から損害賠償を受けたときは年金給付をしないことができるとしていることは、労働者が損害賠償を受けたときには、年金方式による支給が不可欠のものではないことを示している(なお、本件には適用ないが、昭和五五年法律第一〇四号により追加された労災保険法六七条二項参照)。これらを考慮すると、労災保険法が保険給付につき年金方式を採つていることをもつて、損害賠償の支払があつたときでも、更に年金給付を労働者に行わねばならないと解すべき根拠とはなりえない。

労災保険法一二条の五第二項は、保険給付を受ける権利の譲渡、担保提供、差押を禁止している。この規定は、保険給付が現実に労働者、受給権者の手に入るようにすることにより、その生活の資となることを目的としたものと解される。ところが、本件においては、右保険給付と重複する性格を有する損害賠償が、現実に、つまり現金をもつて、受給権者岡山純一に対して支払われている(甲二号証の一ないし三)から、右法条の目的とするところは既に達せられている訳であつて、前記最高裁昭和五二年一〇月二五日判決や、労働者が第三者から損害賠償を受けたとき(同法一二条の四第二項)、第三者に損害賠償債務を免除したとき(最高裁昭和三七年(オ)第七一一号同三八年六月四日第三小法廷判決・民集一七巻五号七一六頁)には、保険給付を受けられなくなることさえあることをも考慮すると、同法一二条の五第二項は本件において控訴人の代位を否定する理由とはなりえないと解される。

被控訴人は、労災保険法には他の場合に代位を認めた一二条の四第一項の規定があるのに、使用者が損害賠償金を支払つた場合に保険給付への代位を認めた同法の規定の存しないことに注目を求めている。しかしながら、損害賠償金を支払つた者に代位を認める明文の規定としては、既に民法四二二条が存していたから、法の全体としての統一上、労災保険法に改めて規定を置く必要のなかつたことは明らかである。労災保険法一二条の四第一項の代位の規定は、政府が損害賠償金を支払つた場合ではなく、保険給付を行つた場合の規定であつて、民法四二二条の文言に直接は該当せず、右規定制定当時の判例によつてもこの場合に民法四二二条の類推適用があるかどうかについて明らかでなかつたところから、明文の規定を置いたものと解されるから、この規定の存することが逆に本件の場合に代位を否定する理由となるものではない。

労災保険法一二条の八、一一条は保険給付の請求権者を定めているが、代位取得者も請求権者の中に含む旨の明文の規定はない(なお、本件で問題となつている長期傷病補償給付、傷病補償年金については請求にもとづかずに支給されることになつている。昭和四八年法律第八五号による改正前の労災保険法一二条二、三項、右改正後の同法一二条の八第二、三項)。しかし、法の規定は原則的な場合のみを定め、例外的な場合には解釈により規定の読み替えを行うのが通例であり、そのような法律の例は数多い。本件で問題の労災保険法においても、一二条の五第二項ただし書(もつともこの規定は本件訴訟中の改正により追加されたもの)は、労働福祉事業団に対しては保険給付を受ける権利を担保に供することを認めているが、担保権者である労働福祉事業団が労災保険給付を請求できる旨の明文の規定は置かれていないのである。代位権者も請求権者となる旨の明文の規定のないことは、前記解釈の妨げとなるものではない。

被控訴人は、保険給付の具体的な請求権は、労働者の死亡や給付の増額など、損害賠償金支払後の事情の変動に左右されることを指摘する。しかし、使用者が代位できる権利はもともと労働者に属していたものであり、労働者の有する給付は死亡により消滅することは法に定まつている以上、労働者が死亡したときは使用者の代位できる利益も失われることは止むをえないところである。弁済者が代位によつて取得した利益がその後の偶然の事情によつて失われることは、代位によつて取得した残存物が引渡前に天災によつて滅失する場合にも生じうることである。また、保険給付の額がその後に増加しても(本件においても増加している)、弁済者の使用者が代位できる額は弁済額のうち逸失利益分元本に充つる迄の部分に限られ、これに充ちたときは残余は労働者が取得することになるから、給付額の増加によつて労働者に不利益を与えたり、法律関係が複雑になるものでもない。被控訴人指摘の右事情は前記の解釈を動かすものとはなりえない。

そのほか、労災保険法を詳細に検討しても、保険給付について民法四二二条の適用を否定すべき積極的な根拠を見出すことはできない。

なお、昭和五五年法律第一〇四号により追加された労災保険法六七条は、請求原因四の弁済ののちである昭和五五年一二月五日に公布、施行され、昭和五六年一一月一日以後に発生した事故に起因する損害について適用される(同改正法付則一条、二条一一項)ものであるから、本件について考慮することはできない。

また、使用者が損害賠償の支払をしたのちでも、国は労災保険給付は労働者に対してなすべきであるが、労働者はこれを受給したときは不当利得としてこれを使用者に返還せねばならないとの解釈も考えられない訳ではない。しかし、法は三者間の調整方法として民法四二二条の規定をおいているところ、この規定の適用を排除してまで、右解釈を採るべき積極的な理由は存しない。そのうえ、右のような解釈をとっても、労働者が保険給付の支給を求めなければ(その事態は充分に予想される)、使用者は不当利得返還を受けられないから、この解釈が妥当なものとも解されない。

なお、民法四二二条の代位によらずに、労災保険法の趣旨、公平の原則から、控訴人が直接に岡山純一の保険給付を取得する旨の控訴人の主張は、採用できない。

三控訴人の代位額

請求原因一ないし四の事実によれば、控訴人はその主張するとおり、弁済後に岡山純一が受けるべき傷害補償年金のうち三九五万六一一四円に充つる迄の部分について、代位によりこれを取得したことになる筈である。

しかしながら、請求原因五のとおり、請求原因二の訴訟の控訴審弁論終結の昭和五〇年二月一三日から損害賠償弁済の昭和五二年一一月二五日までの間に、岡山純一は計一二四万四五六四円の傷害補償年金の給付を受けているから、控訴人の岡山純一に対する損害賠償債務は右給付額の限度で消滅していたことになる(前記最高裁昭和五二年一〇月二五日判決)。そうすると、控訴人の右弁済のうち右額の部分は支払う必要のなかつたものであるから、右部分については控訴人は岡山純一の保険給付に代位することはできず、控訴人の代位の範囲はこれを差引いた二七一万一五五八円の保険給付について、昭和五二年一一月二六日以降に受くべき分ということになる。

請求原因五のとおり被控訴人が岡山純一に対し保険給付をしている事実からすると、そのような保険給付をすべき事実関係が存し、被控訴人がこの給付の決定をしたものと推認することができる。民法四二二条の代位による権利の取得には債務者に対する通知などの対抗要件は必要としないと解されるし、被控訴人は他に抗弁の主張はしない。

控訴人が代位により取得する権利はもともと岡山純一に属していたものであつて、これは年金方式により支給されるものであるから、これを一時に請求できるとする控訴人の主張は理由がなく、これを前提とする控訴人の主位的請求そのままは認容することができない。

そこで、予備的請求にもとづき判断すると、控訴人の請求は元金二七一万一五五八円、及びこの内金二一六万一二六五円(昭和五五年一〇月二〇日までに支給期の到来した分のうち控訴人の主張する額)に対する昭和五五年一〇月二一日から完済まで年五パーセントの割合による遅延損害金の支払を求める部分は理由があるが、その余の部分は理由はない。

四結論

そうすると、控訴人の請求を全部棄却した原判決は一部不当であるから、これを右の趣旨に従い変更することとし、訴訟費用は民訴法九二条本文により主文二項のとおり負担させ、同法一九六条一項により控訴人の請求認容部分に限り仮執行宣言を付し、仮執行免脱宣言は不相当であるからその申立を却下することとして、主文のとおり判決する。

(上田次郎 広岡保 井関正裕)

岡山純一に対する長期傷病補償給付及び傷害補償年金支給状況一覧表〈省略〉

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